武術稽古法研究レポート

2014年12月15日 (月)

【武術稽古法研究028】◎できることから始める(1996年)

先日のブログ◎特別講座「甲野善紀の術理史 第14回 ~『新・井桁術理』他~」に関連して、昔のレポートを転載しました。術理史講座のテーマにあわせた、「新・井桁術理」誕生前夜の内容でした。

講座では「新・井桁」の前の「時間退行モデル」から始めたのですが、これが以外と大当たりで、当時は全然わからなかった両者の関連性がはっきりしてきてびっくりしました。

で、その関連についてはまたの機会にしますが、時間退行モデルについて書いた稽古レポートを転載しておきます。
時間退行モデルについてはわからなすぎて書いていませんが、そのわからないことにどう向き合うか、そこでどう稽古するかについて書いていて、参考になるかもしれません。

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【武術稽古法研究028】1996年2月13日

◎できることから始める

●「遠い例え」を前にして
 前回の稽古で甲野先生がされた技は、座りの両手持ちから相手に押し込まれて後ろに倒れそうになった状態から、フィルムを逆回転するように起き上がってくるものだった。私がショックだったのは技そのものではなく(技そのものは私にとってはすごすぎて驚けなかったらしい)、その技を説明するための例えのほうだった。
 曰く、「野原に壁がたっていてドアがついている。横から見ると10センチほどの幅しかないのに、ドアをあけると階段があるような感じ」「体の中の痒い部分が掻けるような、脳みそを掻けるような感じ」だと言う。これでは少しも「例え」になっていない。しかし、先生にとっては「実感」を語っているに違いないのだ。また、この例えを非常にわかりやすいと感じる人がいるのも事実なのである。
 そうは言っても私には、今この技にアプロ-チする気にはなれない。この例えと説明からその技の感覚が連想できないからだ。私にはまだ「遠い」世界なのだろう。ただ、稽古を続ける過程で「突如として近くなる」日が来るだろうと楽観している。

●できることから始める
 以前、稽古を始めるにあたって「今までしたことのないことを学ぶ覚悟」が必要だと言ったことがある(稽古法研究「『漠然とした全体』から『具体的部分』へ」1996/01/18)。しかしそれは稽古をするに際しての心構えのことであり、実際の稽古では「なんらかの稽古をする」ことが大事になる。だからといって、先生にいきなり技をかけられて「どうぞ好きなのをやってください」と言われて、それを稽古できる人は少ないだろう。最近は自主稽古(自分のテ-マを持った稽古)をする会員が増えてきたが、それは個々人の才能によるものではなく、武術的体感が拓かれてきたからでもない。確かに才能(センス)のある人はいるし体感も拓かれつつあるだろうが、それは稽古のたびに自分の「できること」あるいは「できそうなこと」を追求してきた結果ではないだろうか。
 もし、何を稽古していいのかわからなくなったとき(これは初心者だけでなく、長く稽古を続けている者でも起こることだと思う)、とりあえず「できること」を切り口にするしかない。そしてとりあえず誰にでも「できること」がある。甲野先生の技を受けることだ。そして技の感覚を味わうことなのだ。
 これはある人には、武術的感覚を育てるための端緒になるだろうし、別の人にはその感覚を再確認することにもなる。また新たな感覚を育てるきっかけともなるだろう。ここからすべての稽古が始まることを思うと、稽古のはじめから「できること」があることがわかる。こうして「できること」を追求することの「地道な積み重ね」がある程度の形をなしたとき「技らしい」ものとなる。ここから質的に違う「できること」の追求が始まるといえるだろう。

※尚、ここで甲野先生の嫌いな「地道な積み重ね」という言葉を使ったのは、甲野先生も自らの内面を見つめることに「地道な積み重ね」をしてきたと信じるからであり、先生がおっしゃるような、ノルマ化した稽古の地道な積み重ねとは質的に異なるものだからである。他人の課したものであろうが自分で設定したものであろうが、先に数値的目標を決めてしまって、後はそこに向かって判断停止的に遂行していくのがノルマ化した稽古だ。こうした稽古はその内容が「正しい」ことを前提にして行うのであって、内容の吟味は他人に預けてしまうのである。これを「地道に積み重ね」た結果育つ精神とはどういうものだろうか。
 以上

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2014年12月13日 (土)

【武術稽古法研究32】折りたたまれる平行四辺形——『井桁術理』の新たな側面

当日のお知らせとなった、◎特別講座「甲野善紀の術理史 第14回 ~『新・井桁術理』他~」ですが、今回は1996年の「新・井桁術理」の前夜、という感じでお話しします。

「新・井桁術理」が誕生する過程で、わたしが書いたレポート「武術稽古法研究」があるので、転載しておきます。
術理についてだけでなく、こんな風に考えながら甲野先生の技を稽古していたという参考になればいいのですが。

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武術稽古法研究32
中島章夫
日付1996/04/04

◎折りたたまれる平行四辺形——『井桁術理』の新たな側面

●「井桁術理」のもうひとつの特徴
 『井桁』の基本は言うまでもなく「廻さず・ねじらず」だが、平行四辺形をモデルとしたのは、支点を中心とした一般的な動き(悪しき円)を否定して「平行四辺形がつぶれていくように」動くことを表すためだった。
「つぶれる」と言っても、実は、積み重ねられたツルツルした紙を踏んだ時、紙の1枚1枚が前方に滑っていくような、紙の束が「ずれながら前進する」動きであり、「ずらし」と言うほうが身体感覚的にはしっくりするかもしれない。この概念はその後の展開の中に埋もれているが、なくなったわけではなく、「当たり前のこと」として殊更語られることがないだけのことだろう。
 ところがここに来て甲野先生は平行四辺形をもとに新たな術理を発見した。平行四辺形に力が加わったとき、
それぞれの支点は抵抗することなく「パタン」と折りたたまれる。技においても相手との接点圧力をかわしたりずらしたりするのではなく、そのまま「パタン」と負けてやるのだ。そして相手の力とぶつかりそうなところを次々「パタン、パタン」とたたんでいくとほとんど力を入れることなく相手を制することができる、という。 もちろん、折りたたまれるための支点となる部分が、ヒジ関節やヒザ関節といった単純な部位ではないので、決して簡単でもわかりやすくもないのだが、独特の感触のある技法である。

●「折りたたみ式井桁(仮称)」の印象——砲身を覗く
 受けてみた印象は、井桁以降の流れとは異質な感覚のある技だということだ。あの『体内波』でさえも「『井桁』という種から初めて開いた花」(稽古法研究「『体内波』=支点の処理から支点の質的転換へ」95/01/18)だと思えたのだが、今回の術理(ここでは仮に「折りたたみ式井桁」と呼ぶ)は、同じ根を持ちながら脇から伸びてきた別の幹、といった感じなのだ。
 まず、今までの技には「色気」というか「趣」があった。ところが「折りたたみ式井桁」には、確かに技は効くのだが、「うわ−っ」とか「ひえ−っ」とかいう感動がない。妙にさっぱりと感じるのも、それだけあっけないせいかもしれない。あっけないといっても、瞬時に技が決まるわけではなく(もちろん瞬時にも決められるだろうが)、「パタン、パタン」と動いてくる手続きの時間がある。しかしその手続きもこちらを制するための動きとは感じられず警戒心を、少なくとも私の警戒心を呼び起こさないのだ。
 手続きということに関して言えば、「折りたたみ式」は『舞』に似ているといえる。しかし『舞』の場合、こちらの力を先生が全身を調養しつつ流していく手続きの段階で、「これはちょっとヤバイぞ」「来るぞ、来るぞ」といった感覚があった。しかし「折りたたみ式」の場合、そういった圧迫感はなく、先生の手が出てくる瞬間は、いわば「真っ暗な砲身の中を無警戒に覗いていたら突然弾が飛び出してきた」という印象なのだ。この例えで言い換えると『舞』の場合は、「この覗いている物はちょっと危ないかもしれない」と思わせる雰囲気を持っているのだが、「折りたたみ式」では弾が飛び出してきて初めて砲身であることを知るのである。

●「倒す意識」のない世界へ
 この「さっぱり感」「趣のなさ」といったものは、この技法を考える上で大きな手がかりになるような気がする。こうした感触は、相手の力を直接受けないように「パタン、パタン」と折りたたんでいく「作業の付随現象」として相手が倒れている、という意識状態(倒す意識のない状態)が大きく影響しているのではないだろうか。明らかに相手を制するために何かをするのとは意識の地平が異なるのである。
 今後この技法はより「内観的」となり、手続き的動きも小さくなって、見かけ上からは「折りたたみ」が連想しにくくなることが予想できる。そして一瞬の動きの間に手続きが終わっているように「折りたたみ」がより割れてきた時、いわゆる「予も知れぬ所」(起倒流・加藤有慶の言葉)の技を「予が知りつつ」行える領域への入口が開かれるのかもしれない。

以上

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