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2013年1月29日 (火)

光岡英稔師による駒井雅和教練の紹介文

 日本韓氏意拳学会会長、光岡英稔師の駒井雅和教練の紹介文を転載します。
 駒井教練は半身動作研究会の「技アリ企画」の講師として「韓氏意拳入門」を担当していただいています。


=== 本文 ===

 駒井雅和氏は出会ったころから変わることなく一緒に居ると独特の安心感を与えてくれる存在である。その気づかいに、自然と周囲を自分で居させてくれる安心感を覚える。ここは駒井氏の「らしさ」であるとも言えよう。
 一緒に居るだけで安心させてくれる才とはなかなか分かりにくいが、会った時から変わらず彼にそれを感じる。
 最近は端から見ていると駒井氏の自分より若い人と接する時の態度が仁(イツクシミ)と情に満ちていることが少し私にも分かるようなってきた。

 それは私が、各ジャンルの方々が交流できる場として企画しているイベント『今を生きる人の集い2012』においてのことだった。
 無名だが、実力は一流の格闘家や武道家を容易に凌ぐ、登り盛りの若者と彼は交流していたのだが、自らが先輩・先生であることを偉ぶることもなく、若者の力を「私じゃかなわないかも知れないが、まだまだ負けんぞ!」と言わんばかりに全身全霊で受けとめていた。
 そして、彼の実力を「こりゃ、此方も怠けてられないな」と潔く評価したエピソードや、また同イベントの最終日の深夜に何人かの若者達の悩みや問題を聞きながら、「私なんかもいい大人だけど君らと同じで何をどうしていいか分からないものだよ」と彼らの話を親身に受けとめ聞いていた。そうした姿を端から見ていて心地よく感じたことは今でもよく覚えている。

 現代武道やスポーツの世界では自分の立場を利用し弟子や後輩の成長を邪魔したり、その弟子や後輩が成功すると恩着せがましく功績を自分と結び付けようとする輩を見受けるが、駒井氏の振る舞いは微塵たりともそれを感じさせない。逆にそのような後輩や弟子が居ることは自分の出来なさを吟味するチャンスと自省し、稽古の肥やしにされている様にさえ見える。
 駒井氏の受けとめながら耐え返す力は今の日本では希になりつつある日本的な良さではないだろうか。彼は納得いかなければトコトン粘り、拘り、得心し腑に落ちた瞬間には逸早く認識を改め、次の拘りへと移って行く。

 本来、農耕文化、職人文化を持つ日本人の何かに対して拘れる力の原点は、自らを省み改められることへの粘りと、一人一人がその人らしく在れることへの仁(イツクシミ)と思いやりにあった筈だが、そのような自分への拘りや粘りが最近は見られなくなって来たように感じる。

 駒井氏を見ていると私たちは何時・何処で・何に対して拘りをもち粘れば良いか、何に対して潔くあれば良いかを自らの出来なさを通じて教えてくれているような気がする。

 近年に至って少なくなりつつある日本人の良き所を駒井氏は見せてくれる。それだけに人を観る目が各々試されるだろうが、分かる方には分かって頂けるのではないだろうか。
 このように人を仁(イツクシ)む気持ちと周りへの気づかいを大切に指導されている駒井氏から何かを学びとる御縁がある方は、是非とも氏の教えられている場へ足を運ばれてみては如何でしょうか!!
 
 日本韓氏意拳学会会長 光岡 英稔

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