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2009年9月 9日 (水)

◎ナンバの「姿勢」「動作」

 ナンバ論議は仮定の積み重ねのようなところがあり、それぞれの研究者の定義を踏まえた上でないと噛み合ないことが多い。
 以下は、ある意味「ナンバ」ということばを現代に甦らせたとも言える甲野善紀先生が、「ナンバ」という言い方への疑問を呈したことをきっかけに書いた論考。
 先生の気持ちもわからないではないが、やはり「ナンバ」は重要な概念だと思うので、一度整理しておくべきだと思ったのだ。
 参考文献のURLは現在のものに変更した。(2009年9月)

◎ナンバの「姿勢」「動作」(2004年2月)
★中島章夫
●ナンバを巡る混乱

 2003年12月21日付けの随感録に次のような記述がある。
 「最近なにかと話題のナンバに関しては、昨日20日、歌舞伎の研究者である大矢芳弘氏から資料を送って頂いたが、それによると嘉永7年(1854)に初代西川鯉三郎によって書かれた『妓楽踏舞譜』の中に「難波」の字を当てた項目があり、そこには「此振ハ手足一ツニフル也。スベテ謀反人ガ見顕ニ成テ後ニ用ヒシヨシ コレヲ位六法ト云」と説かれているとのことである。
 大矢氏は本来ナンバという言葉の意味は「珍奇で異風な」というニュアンスがあったといわれているが、この感想は私も同感であり、私が折りに触れては言っているように、そもそも昔の日本人がナンバで歩いていたという言い方自体おかしいのである。(なにしろ、ごく当たり前の動きに名称など付くとは思えないから)ただ、現在ナンバという言葉が余りにも広まってしまい、左右の手足を互い違いにして歩く現代風の歩き方と昔風の歩き方を区別する意味で、昔風の歩き方をナンバと呼んでいるのを、今更変えるのも話がよけい混乱しそうに思えるのでどうすべきか私も戸惑っているが、歴史的にみて昔の日本人の歩き方全般をナンバということがおかしいという事だけはあらためてここに述べておきたい。」

 ここには「ナンバ」ということばを巡って様々な世間の混乱があることがみてとれる。それが現在もっともナンバについてマスコミでの露出度が高いと思われる甲野先生が、多くの意見を求められるのも想像できる。
 しかしナンバの研究者ではなく、ナンバ的動作の実践家である甲野先生としては、その有効性を確認することとその動きを追究することが主題であり、広範な裾野を持つナンバ論議に巻き込まれるのは本意ではないであろう。その立場からいえば、ナンバ的動作よりも武術的に有効な身体操作が見つかれば、わたしはないと思っているが、ナンバを捨てる可能性もないとはいえない。そしてそのことに問題があるとも思わない。
 しかし甲野先生自身もナンバということばの持つ混乱に巻き込まれていることは確かである。わたしもまた混乱の中にある。そこで今回はわたしの知っている範囲で、ナンバについて整理し、混乱の元がどこにあるのか明らかにしてみたい。もちろんわたしは学者でもないし、研究者でもない。武術の稽古を通しての興味からナンバに興味を持ち、その上っ面をなでているだけである。それだけに無責任に妄想を展開できるのである。それでもいざ取りかかるとなるとそれなりに文献などを調べ直さなくてはならない。今回はそこまでの余裕がないので、今思っていることをあらすじ的に書いてみることにする。以下の文章は「〜だろう」とか「〜と思われる」と結ばれるものばかりなのだということを念頭に読んでいただきたい。

●「ナンバ」との出会い
 わたしがナンバについて知ったのは、たぶん1977年頃で、大学での武智鉄二の特別講義においてであった。現代の歩法とは違う系統のものがあり、しかも明治以前はそちらが一般的であったという話はまったく新鮮であった。日本人はかつてナンバであった、と言われると「まさか」とトンデモ話と受け取る人も多いが、わたしは素直に驚いた。武智鉄二がさまざまな伝統芸能の所作を例に展開したナンバ論は説得力があった。
 わたしが甲野先生と出会ったのはその後だが、先生は以前から時代考証家の名和弓雄先生からナンバについては聞いていたようだ。その頃はナンバなどということばは、舞踊や歌舞伎、古武術などの実践者、研究者の、それも一部で知られていたぐらいのものだっただろう。ともかく新聞や雑誌、NHKのラジオ、テレビで「ナンバ」が話題になるということなどまったく想像すらしていなかった。まして近代スポーツ界から注目され始めた現状を武智鉄二は天国からどんな思いで見ているのだろうか。ナンバの最初の系統的研究者である武智にとっても予想外の出来事であったことは間違いない。
 甲野先生は先の文章で「昔の日本人がナンバで歩いていたという言い方自体おかしいのである」と言っているが、しかしこれらの騒ぎの元は、すくなくともその一因は甲野先生にある。ナンバの話だけでも、その真偽の論争を含めて興味深いものである。しかし甲野先生は現代の武術で有効であることはもちろん、現代スポーツでも有効であることを話だけでなく実際の動きをもって提示したのである。それがなければナンバブーム、古武術ブームは起こらなかっただろうとわたしは思っている。
 しかし甲野先生の発言がなくても、元来舞踊の専門用語であったと思われるナンバが、一般化すればもともとの意味から離れ、当然のように誤解や混乱が生じるのである。

●ナンバの第一の定義
 ナンバを語る上で、最初にしなくてはならないことは言葉の定義である。ナンバ論議の混乱の元は発言者が何をナンバと言っているのかが曖昧なまま進められるからである。まずは「ナンバ」とはそもそもどういうものか、を考えてみたい。
 ナンバとは舞踊の用語である。それは「手と足の同じ方が出る」姿勢、動作を指すのであって、逆ナンバ(半身動作に手だけを逆に引いたもの)を主体とする日本舞踊が嫌う所作であった。正確には同側の手足が揃う姿形は「力み・力強さ」の表現であって、そうでないのにこの姿形をとることを「ナンバン」といって忌み嫌った。だから歌舞伎の飛六法などはことさら「ナンバン」とは言わないのである。
 ここでナンバの正確な定義をしよう。
 「ナンバとは、力強さのための表現以外で同側の手足を同時に同方向に動かすことを指す舞踊の用語である」
 これを「本来のナンバの定義」とする。
 しかし、わたしたちに必要なのは舞踊のための用語ではない。そこで単純に
 「ナンバとは同側の手足が揃って出る姿勢・動作のことである」
 と定義し直してみる。これをとりあえず「ナンバの第一の定義」とする。この定義からナンバ論議で非常に頻繁に例に出される農民の鍬を振るう労働の姿勢はナンバである。しかし手を振らずに家路を辿る農民の歩く姿はナンバではない。
 ちなみに「逆ナンバ」は、武智鉄二が考える典型的なナンバ動作と対比するために武智が創ったことばなのか他で言われていることばなのかわからないが、現代風の手足逆振りの動きではなく、本質はナンバだが手だけを逆に振る動作という意味で「逆ナンバ」と言ったのであろう。つまりナンバのバリエーションとうことである。
 しかしここでの定義によれば手足が逆というだけで、腰を捻ろうが、捻るまいが、ナンバとは言わない。実にすっきりしている。

●[ナンバ姿勢]
 ナンバの定義は単純明快ですっきりしたが、この定義に従えば「ナンバ歩き」は同側の手足を出しながら歩くことであり、「ナンバ走り」は同側の手足を出しながら走ることである。これは甲野先生がいうのとも、末續選手のいうものとも違うものである。桐朋高校バスケット部がナンバ走りの入門として考えた肘から先の動きに同側の膝を合わせる走法は、ナンバ走りであり、腕を振らないのならナンバ走りではないことになる。
 もちろんそれは、ここでのナンバの定義とそれぞれの定義が違うので、その意味も違うということである。しかし「ナンバ」という同じことばを使う以上混乱は避けられない。だからわたしとしてはそれらを区別するために別の名称を付けなくてはならない。しかし(「おわりに」に書いたが)個人的な理由から「ナンバ」ということばをなんとか使いたいと思うのである。
 そこで第一の定義の「ナンバ」を指す場合はそれを「ナンバ姿勢」と言うことにする。もちろん畑を耕すのは動作を伴うが、ここでは手足の姿形が重要なので「姿勢」とした。
 「同側の手足が揃って出る姿勢を[ナンバ姿勢]という」

●[ナンバ動作]
 わたしたちにとって重要なのは、いわゆる「ナンバ歩き・走り」に代表される動作の方である。同側の手足が出るか出ないかは重要ではない。そこで[ナンバ姿勢]を成立させている特徴を考えてみると、それは半身の姿勢である。では半身とは何かを考えると、つまるところ股関節と肩の同側が同調しているということである。
 右半身の場合、右足を一歩前に出すと、右股関節も前に出て、同時に右肩も前に出す。このとき右腕を前に差し出せばナンバの第一の定義から[ナンバ姿勢]となる。右腕をだらりと下げるか後方に振ると[ナンバ姿勢]は崩れる。しかし右股関節と右肩、左股関節と左肩の対応関係は変わらない。このときの姿勢を[半身姿勢]ということにする。
 さて[半身姿勢]を戻して直立すると、左右の股関節の上にそれぞれ左右の肩が乗った形となる。これは手足逆振りで現代風に歩く人も、いわゆるナンバ歩きをする人も外見上は変わりない。だから直立の姿勢の段階でナンバを問題にしても、あまり意味のあることではない。重要なのは、動き始めてからのことである。
 現代の歩きを例に考えてみよう。右足を一歩踏み出すと右股関節も前に出る(骨盤が半時計回りに回転する)。右腕は後方に振られて右肩も後方に引かれる。一歩の幅が狭いとあまり肩は動かない気がするが、大きく一歩踏み出してみると、右肩が後方に引かれるのがよくわかるだろう。このとき左腕は前に振られて左肩が前に出ている。これを股関節と肩の対応関係でみると、現代の歩きでは前に出た股関節の側と反対側にある(対角線上にある)側の肩が出ていることになる。
 わたしたちの稽古で必要なのはこれとは逆の動作である。この股関節と肩の同側の対応関係による動作を[ナンバ動作]ということにする。これは股関節と肩の同側が常に同方向に動くということである。

●中心軸動作と左右軸動作
 ここからさらに踏み込んで[ナンバ動作]を考えてみる。
 体幹部を板とすると、両股関節と両肩を結ぶ四角形が描ける。この発想のままだと一歩踏み出して[右半身姿勢]をとろうとすると、四角形の中心を上下に貫く線を中心軸として反時計まわりに体幹部が回転する。これは体幹部がひと塊として動くことである。
 わたしが[半身姿勢]と言うときの「半身」は、すでに述べたように右股関節と右肩、左股関節と左肩の対応関係のことである。言い換えると体幹部に描いた四角形の、上下の辺(股関節の左右を結ぶ辺、肩の左右を結ぶ辺)を取り払った左右の縦の二辺の軸を取り巻く右半身、左半身をそれぞれ「半身」というのである。
 つまり中心軸を「軸」ではなく身体を左右に分ける切断線とし、左右の軸を動作の基準とするということである。この軸を中心軸に対して「左右軸」という。ちなみにこれは以前[肩足軸(けんそくじく)]とわたしが呼んでいたものと同じだが、これは直立時にできる軸を基準にしたもので、足を踏み出したとしても足先方向に移動する物ではない。しかし字面に囚われて「常に肩と足とを結んだ軸」という誤解を起こすので「左右軸」の用語を使うことにする。
 この身体を中心から左右に分けて「左右軸」を基準とした動作が[ナンバ動作]である。現在スポーツ界で話題になっているナンバとはこの[ナンバ動作]のことである。
 [ナンバ動作]では同側の手足の振れる向きは問題にはならない。体幹部をねじらないことが重要なのである(これは厳密な意味でねじらないということではない。手足逆振りの現代の走歩行動作のように体幹部のねじれを前提とはしない、という意味である)。

●半身の意味
 武智鉄二は、農民が歩行において[ナンバ姿勢]をとらないのは、「全身が左右交互にむだにゆれて、むだなエ不ルギーを浪費することになるので」、「腰から下だけが前進するようにし、上体はただ腰の上に乗っかって、いわば運搬されるような形」で歩いた、というように述べている。この歩行の究極が能の歩行である。
 武智は「民族共同社会が最初に成立した時、すでにその民族特有のパターンが決定するもので」「その性格を、長い歴史の経過の間にも、基本的に変えるものではない」という「原初生産性」仮説を前提としているので、日本民族のように純粋な農耕民族は、歩行のときもその基本姿勢を崩さず、右足右肩、左足左肩の左右の半身を交互に出しながら歩くのが基本と考えた。そのために、上のような理屈で半身半身で歩かない理由を説明しなくてはならなかったのであろう。
 しかし[ナンバ動作]から見れば、鍬を振るう半身動作も、肩を揺すらない能の歩行もどちらも、半身の動作であることがわかる。労働姿勢から歩行姿勢への移行にはなんら飛躍がないのである。
 農耕における[ナンバ姿勢]での労働は[ナンバ動作]に他ならない。つまり「二軸」を基準としているということである。右半身で鍬を地面に打ち込んだとき、左半身で右半身(と腕と鍬)を引きつける。下半身を踏ん張って上体を捻りながら鍬を引くということはしない。半身半身が主体となった動作である。これは元々半身姿勢での労働であるから当たり前かもしれない。
 この半身姿勢から身を起こして歩きに移る場合、右足を持ち上げて左足で体を支えるとき、左半身全部で体を支え、左半身を浮かせる。右足を一歩進めて着地すると、こんどは右半身全部で体を支えて左半身を浮かせる。これを繰り返しペンギンが歩くように左右に重心を揺らしながら歩くのである。
 歩きは歩幅が狭いために、半身半身を大きく入れ替えながら歩く必要がないだけで、半身半身で動いていることには変わりない。歩幅を大きく出せば[ナンバ姿勢]で歩くことになるだろう。しかし歩くにはそのように踏ん張る必要がないのでそうならないだけである。
 体を一歩ごとに左右に振りながら歩くのは、武術的に観れば問題があるが、それは武術という個別の身体動作の要求であって、日常の歩きの動作とは別の話である。
 いわゆる半身ということについても一般に、[ナンバ姿勢]と[ナンバ動作]の混同と同じ混乱があるようだ。つまり「半身姿勢」と「半身動作」の混同である。
 武術・武道・格闘技に観られる半身や単え身は構えであり姿勢である。これを半身全般と捉えると、「半身半身で歩く」というと左右の半身を大きく差し替えながら歩くという誤解が生じるのである。
 近代化する以前の日本人の多くがナンバで歩いていたという意味は、こうした半身主体の動作で歩いたということであろう。同側の手足を出して大きな半身で歩いたということではない、ということである。
 こうした半身主導の歩行動作は今でも見られる。民族にかかわらず急ぎ足なら盛大に手足の逆振りで歩く人も、そぞろ歩きならそうなる人が多い。
 これに関して、よくナンバ論議で、江戸時代以前の日本人の多くがナンバで歩いていたとしたら、日本を訪ねた外国人がそのことを記述していないわけがない、そうした文献が残っていないということは、ナンバではなかったのだ、という人がいる。
 もちろんこのように言う人は同側の手足を振りながら歩くのがナンバ歩きだという前提がある。しかし今述べたようにナンバ歩き、半身による歩きというのは外見上、それほど奇異なものではない。
 イエズス会宣教師ルイス・フロイスは16世紀末の日本に来て、日本の社会を細かく監察し記録したが、歩法については「西洋人は足の裏全面をつけて歩くが、日本人はつま先で歩く」程度の記述しかないというのももっともなことである。
 たとえばマサイ族は飛ぶように歩くが(これはわたしの主観)、跳びながら歩いているわけではない。後者なら記録に残す人もいるだろうが、前者は身体動作の専門家以外はわざわざ書き残さないだろう。
 それでも日本人の一般的な歩き方と違うことは感じると思う。江戸時代に日本に来た外国人にとって、日本人の歩き方(半身歩き)はそれほどの差異しか感じなかったのではないだろうか。
 このように考えると、ナンバの姿勢や動作というのは「半身主体の姿勢と動作」といえば事足りるのかもしれない。

ナンバの語源
 ナンバの語源に関して考えることは興味深いが、ナンバそのものには大きな影響はない。しかし語源からナンバそのものを誤解することもあるので、説というよりアイデアといったものも含めておおまかに見てみることにしたい。

○「難場」説。
 山道や道悪を歩くと自然と半身半身の[ナンバ動作]をとりやすい。そこからナンバというようになった。
○「滑車(ナンバ)」説
 武智鉄二が唱えた説。佐渡でナンバ(南蛮渡来の機械の意)と呼ばれていた鉱山用の滑車を曳く半身の姿勢から。それが佐渡歌舞伎の伝承によって芸術用に転用された。
○「ナンバ桶」説
 田下駄の一種で最も原始的なものに「ナンバ桶」と呼ばれるものがあり、それを履いて泥田を歩く姿勢をナンバと呼ぶようになった。
○「大阪・難波」説
 昔大阪の難波に有名な接骨医が四軒ほどあり、少し筋の違ったものを見ると「なんば行きや」といったことが踊りに流用された。
○「南蛮」説
 南蛮人のような見慣れないもの、普通でないものという意味からきた。

 「難場」説はいちばんわかりやすい気がするし、「ナンバ桶」説は興味深いのだが、どちらもそれがなぜ舞踊や芸能の用語に転用されたのかが判然としない。
 「滑車」説は一読こじつけのようだが、佐渡歌舞伎によって伝承されたということで、その部分が押さえられていてさすがに武智が採用するだけのことはある。
 「難波」説は現在でも上方舞(地唄舞)は逆ナンバの動きが保存されていることから、稽古で同側の手足が揃ってしまう動きを「難波行きや」と叱ったことも想像できておもしろい。
 一番どうでもいいように思えるのが「南蛮」説だ。これは冒頭に引用した甲野先生の感想でもあるので「どうでもいい」と言っては失礼だが、実はわたしも「南蛮」ではないかと思っている。その理由は以下の通りである。
 舞踊の評論家である蘆原英了によると、日本舞踊において同側の手足が同時に同方向に動くことを「ナンバン」といったというのだが、本稿のナンバの正確な定義からもナンバは舞踊用語である。古典芸能一般でも使われることはあったかもしれないが、なぜ舞踊用語として残ったのか。
 盆踊りなどの民族舞踊にしても、能、歌舞伎、狂言、文楽など[ナンバ動作]が基本の芸能は、その当たり前の動作に名前を付けることはなかっただろう。歌舞伎の飛六法をことさらナンバとは言わないことはすでに述べたが、蘆原よると「多くの舞踊の師匠たちはこの種のナンバ(力強さのための表現)をことさらナンバとはいわない」のだという。つまり日本舞踊は[ナンバ姿勢]を特殊な場合(おそらく力強い表現)以外しない特別な所作であるためにわざわざ名称を付ける必然があったのである。こう考えると先ほど想像したように、「そんな動きをしている奴は難波行きや」(「奴」なんて言ったかどうか知らないが)、「それは難波や」というように言っていたような気もしてくる。
 しかし蘆原は、「ナンバン」といったというのである。広辞苑などにも「なんば(なんばん)」と併記されているが、地名の難波はどうしても「ナンバン」にはならない。上記の語源でナンバンと読むのは「南蛮」しかない。

●「ナンバ」と「ナンバン」
 「ナンバン」が「ナンバ」に転移するのはそれほど不思議なことではない。「滑車」説のナンバも元々「南蛮」で、それがナンバに訛ったものである。そばやうどんの「鴨南蛮」や「カレー南蛮」も、江戸時代から現代に至るまで東で「なんばん」、西は「なんば」と呼び分けられている。
 なぜ西では「ん」が取れたのか。ここではそば・うどんの「南蛮」の語源の説のひとつを紹介する。
 大阪や上方には古くから油で揚げたり炒めたりした魚や肉と季節の野菜を唐辛子で煮た「南蛮煮」という料理があった。「なんばんに」は「nanban-ni」の重なった「n」がつまって「なんばに」とも言われた。その南蛮煮のようなものをそばやうどんにかけたものが「南蛮そば・うどん」である。
 江戸でうまれたのが「鴨南蛮そば」。関東では文字から「かもなんばん」と呼ばれた。関西では「あんかけ南蛮」「カレー南蛮」が生まれるが、それらはともに「なんばに」の音から「あんかけなんば」「カレーなんば」と呼ばれた。
 このように上方では「南蛮煮」を「なんばに」とも呼ぶ習慣から、異風なものの総称である「南蛮」を「なんば」と呼んだのだろう。
 しかし「南蛮」説についてもいささか(大分か?)強引な印象を逃れえない。確かに江戸時代の初めの頃から、渡来した文物や珍奇な物、異国風のものをやたらと「南蛮」というようになったようだ。それは具体的な物、「南蛮漬」「南蛮焼」とか「南蛮キビ(=トウモロコシ)」とかである。
 もしもそのころ、物自体ではなく変なこと、妙なことの表現として「それはナンバンやねえ」とか「ずいぶんナンバンな格好だ」とか、まあ現代風に言えば「ナンバってるぅー」のように、流行ことばとして使われていたたとすると妙な仕草に「ナンバだ」と言ってもわかる気がする。そうでなくてはちぐはぐな所作にいきなり「ナンバン」だとは言わないだろうと思う。
 また他の説には姿勢や動作も含まれているが、「南蛮」説にはそれがないのも説得力に欠ける一因である。同側の手足が出る姿勢をことさら「ナンバ(ン)」と名づけた理由があるはずである。
 たとえば江戸時代に西欧のダンスが流入し、それを「ナンバ振り」とでも称していたとすると「それはナンバ(振り)や」という言い方で叱るということも考えられる。
 西欧のダンスがナンバというと奇妙に思うかもしれないが、蘆原英了は西洋のダンスやバレエにナンバの動きが多いため力強く活発であり、日本舞踊はナンバを忌み嫌うために不活発な印象を与えるのだ、と言っている。ここでいうナンバは[ナンバ姿勢]のことで、動きと動きをつなぐポーズには意外と[ナンバ姿勢]が見られるということである。
 盆踊りなど伝統の動きは全体がナンバ的であるため、かえってダンスやバレエが動きの合間合間に見せる決めのポーズとしての[ナンバ姿勢]が目立ち、舞踊の稽古で[ナンバ姿勢]が出たときに「南蛮踊りのようだ」「それでは南蛮振りだ」と叱ったのがやがて「それはナンバだ」と略されていったということであったら、一応納得できる。もちろんこれはわたしの想像で作り話であるが、こういう物語で埋めないことには「ナンバ=南蛮」説はどうも説得力に欠けるのである。それでもわたしがこの説を推すことには変わりないのだが。

●おわりに
 語源についてはどうしてもことば遊びの域を出ないが、[ナンバ姿勢]と[ナンバ動作]を区別しなくてはならないことはご理解いただけただろうか。それを一緒くたに「ナンバ」と言ってしまうことに混乱の元があったのである。京都大学の小田伸午氏ら「常歩(なみあし)研究会」グループが「ナンバ」を使わず、「常歩(なみあし)」あるいは「二軸動作」という用語で[ナンバ動作]を再編しようとしていることは大変理にかなっているのである。
 わたしもいっそ[半身姿勢][半身動作]と言った方が良いようにも思うのだが、忘れられそうなこれらの動作、所作をナンバとして世に問うた武智鉄二の仕事の重要性を考えると、やはり「ナンバ」ということばを捨てきれないでいるのである。
 以上

【参考文献】
〈書籍〉
『舞踊の芸』 武智鉄二著 東京書籍
『伝統と断絶』武智鉄二著 風濤社
『舞踊と身体』蘆原英了 新宿書房
〈WEBサイト〉(2004年2月現在)
「大阪・上方の蕎麦」南蛮・なんば・なんばん語源の謎
http://www10.ocn.ne.jp/~sobakiri/4-1.html
「常歩(なみあし)身体研究所」
http://www.namiashi.net/

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